こんにちは、ぐうたらスーパー主婦の糸野つむぎです。
日大のアメリカンフットボール、森友学園問題、加計学園問題がひっきりなしに報道されています。一体うそをついているのは誰なのでしょうか?真実は一つしかないはずなのに、なかなかすっきりと解明できないのは、誰かが自分の利益のために真実を隠しているからです。
「コミュニケーション不足だった」という言い訳
問題がおこり、真実が明るみに出そうになると、隠していた人が必ず使う言い訳が「本意からではなかった。○○不足であった。」というもの。○○不足とは、主に、認識不足、コミュニケーション不足のことです。これは、逆説的に取ると、「もしきちんと認識して、もしきちんとコミュニケーションがとれていたら、こんな結果にはならなったであろう」、ということです。仮定法過去なんです。
コミュニケーションって、言葉などで、気持ちや意見を伝えることですよね。その気持ちや意見って、誰もが正しいとうなづけるものとは限りません。だって、人間ですから、間違えることもありますから。それなのに、100%伝えきれたとしても、正しくないことだったらどうするんでしょう?
自分で判断することが大切
日大アメフト部の場合
日大のアメフト部では、「○○をつぶして来い。」と言われて、その指示に従ったことを日大の選手は反省しています。指示を断れなかったは、「自分で判断できなかった自分の弱さ」と言っています。
指導者という立場の人からの指示(コミュニケーション)ですので、試合の作戦として通常は従って問題ないはずですが、今回の指示は悪質なものでした。運動部の選手は上の人の指示に従うのが当然の文化でしょうから、「No」とは言えなかったのでしょう。しかし、本人はこのことを心の底から反省し、20歳になったばかりの若さなのに、自ら記者会見を開き、真相を語りました。本当に立派です。
迷った時、何を基準に決めるか?
たとえ誰からから指示を受けても、少しでもひっかかかることがあれば、立ちどまって考えるべきでしょう。その時の判断の基準に参考になる言葉を見つけました。
なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。
小津安二郎(映画監督)
朝日新聞 折々のことば 2018/5/23
これは、ざっくりとしているので、とてもわかりやすい基準だと思います。この小津安二郎さんは映画監督で、この言葉はキネマ旬報1958年8月下旬号に載っているということです。60年も前の言葉なんです。もう少し、色々なジャンルの人にわかりやすく言い換えると、こんな感じでしょうか?
自分の得意分野は、これからも大切にしたいことなので、重大なことにも属します。したがって、得意分野は道徳的に正しくないと持続できなくなります。だから、日大アメフト部の選手にとって、アメフトは得意分野であり、道徳観の上に成り立つものです。誰かを傷つける行為は道徳に違反するのでやってはいけないし、アメフトは自分の得意分野ですので自分の心の内の声に耳を傾けて良かったのです。
試合が終わって、日大のこの選手はテントの中で肩を震わせて泣いていたそうです。罪悪感で辛かったのでしょう。自分の真の心の声を大切にすれば良かったのです。こんなに純粋な若者、世間は放っておかないでしょう。「アメフトを続ける権利はない」、と言っているようですが、どういう形であれ、立ち直って、強く生きていってほしいです。
組織で生きるということは、利害の衝突のいざこざに巻き込まれる可能性もあります。権力を持つ人は正しいとは限りません。自分で判断して行動することが大切ですね。