待つとは、積極的な行動なのか?待ちながらできることは?

こんにちは、ぐうたらスーパー主婦の糸野つむぎです。

 

毎日、起きて、仕事をして、人とかかわって、帰宅して、ちょっとだけ家事をして、あっという間に一日が過ぎます。そんな中、立ち止まって、ちょっと抽象的なことを考えてみたくなりました。

 

「待つ」ということは積極的な動作か?

これを考えるきっかけになったのは、朝、駅へ向かう地下街での人の多さをぼんやり風景のように感じた日があったからです。自分は、この混雑の中の一人であるのにかかわらず、絶え間ない人の往来に不思議な引力のようなものを感じたのです。

 

「待つ」という言葉の意味

デジタル大辞泉(コトバンク)によると、「待つ」は次のように定義されています。

「待つ」の意味 (コトバンクより)
  1. 物事・人・時が来るのを予期し、願い望みながら、それまでの時間を過ごす。また、用意して備える。
  2. しようとする動作を途中でやめる。普通、相手に要求する形で用いる。
  3. 相手の反応や態度がわかるまで静観する。

 

駅に向かう途中で、もし後ろから「ちょっと待って」、と呼び止められることは、(2)にあたります。歩いている動作を他人の要求によってやめることですね。今回はこの意味については考える対象外とします。

 

(1)の「物事・人・時が来るのを予期し、願い望みながら、それまでの時間を過ごす。また、用意して備える」と、(3)の「相手の反応や態度がわかるまで静観する」は、待つ対象が見える物か見えない物かのちがいはありますが、意味的には酷似しています。

 

(1)「物事・人・時が来るのを予期し、願い望みながら、それまでの時間を過ごす。また、用意して備える」では、

  • 回復を待つ
  • 友達を待つ
  • 日の出を待つ
  • 出番を待つ

 

(3)の「相手の反応や態度がわかるまで静観する」は、

  • 相手の出方を待って対処する

 

待つことは、概ね良い出来事を期待して時間を過ごすということにまとまりそうです。

 

待っている時間の過ごし方

その後に期待されるよい結果に対して待つのであれば、何かできることはないかと考えてしまいます。

 

出番を待つのであれば、自分のパフォーマンスが十分なものになるようにぎりぎりまで復習したりすることがあります。

 

日の出を待つのであれば、その日やその年が幸せであるように祈りながら親しい人と時間を過ごすでしょう。

 

待ち合わせで友達を待つ場合も、会ったらこんな話をしよう、と心躍らせたり、時間を過ぎても現れないことにイライラしたりして過ごすでしょう。

 

ただ、回復を待つ・成長を待つということに対しては、少し違います。自分が直接かかわってできることが少ないのです。これは、回復するのは他人であり、成長するのは時間がかかるからです。お見舞いに行って、勇気づけたり、植物なら水や肥料をやって成長促進に力を貸したりはできても、それはやはり、外側からの小さな働きかけであり、時間を要するこれらのことには即効性がありません。

 

それでも、時間のかかることで、効果の度合いが計りにくいこれらのことは、捉えにくいがゆえに、待つことが大変難しいのです。しかし、大切な事であり、待つことが重要な分野でもあります。

 

私の待っていること

回復を待っています。回復してほしい人がいます。もう8カ月程連絡を取っていません。世の中では、時々あることで、みんなは少々鈍感になっているようです。しかし、私は結構近くで過ごしていた立場なので、今、どんな状態なのか、とても心配です。あの時、もっと強く言ってあげれば良かったかな、別の言葉で説得してあげれば良かったかな、良かれと思って一生懸命お手伝いした事が災いになってしまわなかったかな、と色々思うことがあります。仲良くして頂いていたので、辛いです。

 

こんなことになるなんて、思ってもみませんでした。私が今の考えに至ったのはその人のことがきっかけです。今の社会の現状では問題が多すぎますが、何か行動して、そういう立場の人を作らない世の中にならないかを考えています。

 

私個人でできることはちっぽけな事ですが、何かをせずにはいられなかったのです。これが、回復を待ちながらもできることを考えている自分です。

 

最初の、朝の地下街の人の往来の多い風景に戻ります。「ちょっと待って」と呼びかけられたとします。この場合の「待つ」の意味は、呼びかけれて、歩いている動作を一時的に止めることです。きっかけは他人の呼びかけでも、歩みを止めて呼びかけた人を待つのは自分の意思によるものです。

 

ただ、人の往来の激しい場所で立ちどまってしまうと、人の流れを崩してしまうことになります。振り返って、呼びかけに気づいた合図はしても、立ちどまらず、できれば通路の端に寄って、呼びかけた人の話を聞くのが理想です。これが呼びかけた人を待つ理想の待ち方です。

 

日々忙しいですが、呼びかける人にはそれなりの事情があります。できるだけ、丁寧に対応して悔いが少なくなるといいと思います。

 

ご感想をお待ちしています。記入していただいてもすぐにアップされることはありません。公開不要かどうか、こちらで判断させていただきますので、ご安心ください。

 

 

 

スポンサーリンク